「ひとりごと」について

就学相談への問題提起をした「ひとりごと」について下記のような投稿が寄せられました。
特別支援教育を進めるにはまだまだ多くの課題があるようです。
皆様のご意見もよろしくお願いします。


匿名

 私は元々小学校の教員で、今は市立の養護学校の教員をしています。市の就学指導委員もしていました。そこでの一こまが今も忘れられません。

 この市では公立幼稚園(2年保育)にも障害児学級が2クラスあり、幼稚園に入園する時にも就学指導委員会の対象にあがってくる子がいます。
一人の視覚障害(全盲)のある次年度幼稚園の年小組への入園を希望しているお子さんが委員会の俎上にあげられました。保護者は、障害児学級へ入れてより小さい頃から点字指導をすることで、小学校に上がった時に通常の学級で級友達と共に過ごすことができるという思いで、障害児学級への入級を望みました。
まさしく、ある時期、ある固定された場所での効率性の高い教育を受けることによって、その後の地域生活を可能にしようとするものでした。その親の思いは理解できないものではありませんでした。
そこにいた委員の多くが親の願いを受け入れる方向で進みかけていました。
しかし、幼稚園の障害児学級担当者は、「私たちは少人数で様々な子どもたちを担当しています。
今、LDやADHDや高機能自閉症と言われる子達も随分と増えてきました。
この状態で新たに点字指導もしろと言われても、私たちにはそんな専門性も余裕もありません。もうこれ以上新たな障害児を受け入れることはできません。」と訴えました。
それを聞いていた学校教育課長は、即座に指導主事に「盲学校を調べるよう」指示を出しました。
そこからです、その就学指導委員会が大荒れになったのは。


 その当時、私の一人息子は保育園の年中組に通っていました。
妻も共働きでしたから、やっとおむつがとれて、自分で歩き出して、片言を話し出してというような時に、保育園のお世話になっていました。
息子にはいつも寂しい思いをさせながら、保育園の先生方の優しさに甘えながら仕事を続けてきました。
私の県では盲学校は大都市部にしかありません。
そこの幼稚部へ通うには2時間ほどかけて通うか寄宿舎に入る以外にはありません。
息子と同い年の子が寄宿舎に入るなんてことは考えようもありません。
また、たとえ、将来のためとは言え、親だから毎日2時間かけて連れて行くのは当然と言ってよいものでしょうか。
「ちょっと待ってください。今まさに、地域で生きたいと願う小さな命があって、他の多くの子達が当たり前に地域の幼稚園に入っていく中で、何故障害があるからと言って、その地域からさえも隔絶されなければいけないのですか。」という意見で口火が切られ、「自分の子どもが遠くの盲学校へ行けと言われる、その場に自分がいるのがくやしい。」と泣き出す委員(教員)もでるなど、騒然としてきました。
そして、「全盲だから受け入れられないとか、全盲だから盲学校の方がよいなどとネガティブな話だけでこの就学指導委員会は進められようとしているが、本当に必要なことは、全盲だから点字指導を含めた指導やさわる絵本をはじめとする環境整備が必要になる。
しかし、現状では決して十分とは言えない。
そこで、例えば、盲学校の巡回指導や養護学校の巡回支援を利用するなど、他の助けを活用していくことで、市民の安心感と信頼感を醸成することができると、ポジティブに考えることなのではないのか。」「新たな特別支援教育は、従来の○○だから××というようなネガティブな後追いの特殊教育から、○○だけど△△を用いれば可能になるというようなポジティブな予防投資型教育であるはずだ。」というような議論が熱くかわされました。
しかし、市教委の判定はくつがえりませんでした。

でも、親は屈しませんでした。

 今年、そのお子さんは小学校に入学してきました。
通常学級の中で、担任は悪戦苦闘しながら子どもたちと向き合っています。
そうやって、悪戦苦闘を続ける中で、真の専門性(その子だけのことではありますが)が身に付くと確信しています。
最近は資格社会ですから、○○教育士などというような資格が大流行です。
その資格を取れば専門性が高まったと、勘違いしているお馬鹿な教員もたくさんいます。
名刺に恥ずかしげもなく大書し、「どうしてこの肩書きが必要なの」と尋ねると、「これがあることで親が安心する」と多くが答えます。
その肩書きがなければ親から安心されない者が肩書きを持っていると考えると、そら恐ろしいものがあります。
日本赤十字社の救急員の資格などは、その資格を持っている者が救急の現場に居合わせた時、応急処置が適切でないと処罰されます。
資格とは、そうした責任性に裏打ちされたものでないと意味がありません。
安物の資格をふりかざして、誤った専門家風をふかせ、あたかも偉くなったような気になっている教員を何とかしてくれという思いで見ています。
それを許す親にも責任の一端はあるでしょうけど。


 話が就学指導から、安物の専門性へと変わってしまいましたが、要は、就学指導の中身もお粗末なら、どこぞの校長もお粗末なあほであり、どうも教育は安く挙げることと安物とが混同されている気がしてなりません。

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