特別支援を特別でなく

特別支援という名前が悪いのか
個々に合わせてわかりやすい工夫をするというだけのことなんだけど
「特別支援」と言われるとやはり構えちゃいますよね。

学級の中で一人一人の子に合わせて授業をするなんて
そんなこと無理!
とよく言われます。

算数の授業で
全員進度が違って
全員にちがう声掛けをするとなると
それは大変!

でも、大事なところを模造紙に書き出して
教室に張っておくとか
動きのある授業展開にするとか
ちょっと視点を変えてみるだけで
ちょっと視覚支援を取り入れるだけで
着いてくる!!!
あの子もこの子も

構えないで
やってみましょう。
一番困っているあの子のために

そうすれば他の子供たちも
みんな救われるはず

この記事へのコメント

YOU
2009年03月08日 01:17
お久しぶりです。新米コーディネーターのYOUです。
小学校に支援に行くようになって、やはり同じことを感じています。
「多忙で無理!」とか「本に書いてあるような理論は通用しない!」とか。そりゃ確かに学級の一人一人に最適な支援を考えて実践するのは難しいと思いますが・・・。必ずしもほかの子どもと全く違う内容と手段を用意しろと言っているのではないのです。言いたいのはそういうことではなくて、困っている子どもにとってわかりやすくなるような工夫を指導のメインストリームに取り入れることで、みんながわかりやすい授業になると思うのです。そうすることで個別の場所や内容を用意しなくてもみんなと一緒に学べるケースが多いのです。「特別」支援教育という言葉の響きで引いてしまう先生もいるようですが、わたしはこれまで「特別」であったことを「一般化(メインストリーム)」にすることこそが特別支援教育だと思っています。一部の人のための特別な教育であればそれは従来の「特殊教育」「障害児教育」となんら変わらないじゃないですか。
「特別支援を特別でなく・・・」ほんとにその通りだと思います。
y-kuma
2009年03月08日 10:20
通常学級における特別支援教育とは、関係性の問題が大きいと思いますよ。行動の問題も、学習の問題も、社会性の問題も、学級の子ども達との関わりの中で問題が起きてきます。だから、支援をするならそこを考えに入れておかないとその場限りのもので、長続きせず結局うまくいかないことになるのが、現状だと思います。

通常学級における特別支援教育は、もっと通常の人達が主体的に考える必要があります。学級経営をどうするか、授業づくりをどうするか、仲間作りをどうするかということを双方向のことととして捉えて考えなければ、うまくいきません。工夫を取り入れるだけではなく、元になっている授業なりを経営なりをどうしていくかです。
でも、指導要領にも指針にもそんなことは示されてないですね。発想が、特殊教育からの発想だからだと私は思います。

そこが無いと、結局「取り出しだ!」ということになり、通級が増えたり特学在籍が増えたりします。
対象児童への支援に偏る現状では、特別支援教育は根付いていきません。
K子
2009年03月08日 21:44
もちろん教育システムを構築することが日本のインクルーション教育の実現には必要不可欠ですが、それは今日、今すぐに私たちができることではないんですよね。

教員レベルであるいは学校レベルでどのように特別支援教育に迫っていくのか…

今困っている子供を目の前にして何ができるのか!一教員としてはそこのところが大事なところだと思うのですが。



名前ばかり変わっても、制度ばかりができあがっても我々の意識が変わらない限りいつまでも絵に描いた餅ですよ。
YOU
2009年03月09日 08:39
うーん・・・。
たしかに工夫を取り入れるだけではなく、学校が、学級が、授業が、意識レベルから変わってくることが必要なのでしょうね。そうなるといいなと私も思います。ただ、それは私の立場(特別支援コーディネータ)で小・中学校の先生たちに言えることではないのです。「今困っている子どもをどうすればよいか」ということで呼ばれることがほとんどですので・・・。話す内容もそれに沿ったものになるわけです。ただ、そういうすぐに授業に取り入れられるちょっとした工夫で子どもたちが変わることを先生たちに実感していただけたら、それを契機に特別支援へのより深い理解につながっていくこともあるのではないかと思っています。
YOU
2009年03月09日 09:21
あ、ちなみに上はy-kumaさんのレスポンスへの感想でした。
y-kuma
2009年03月10日 23:07
このことについては黙っていられないのでついついコメントしてしまいましたが、非難したり批判するつもりなどまったくありませんので私のコメントで気を悪くした方がいれば申し訳ありません。

ただ、通常学級のことについては、言いたいことは山ほどあります。通常の現場にいるものとして、今の特別支援の方向性をとても危惧しています。でも、コメントで議論するようなことではないですね。いつかまた、場を改めて・・・。

マドンナ
2009年03月24日 00:32
特別支援教育を 教育委員会の諮問委員会で 東京都内のB区で区民委員として話し合ってきたことがあります。
すでに語り合う時はすぎて 各行政が実際に運用しているところに入っています。
インクルージョンとは包括的な教育であって、過去の統合教育(普通学級の中で支援無くいる状態)ではありません。
学級の中で 特にその子供への教育や行動・心理面へのトータルな支援が必要と考えられる場合、どのようにしたら 子供の「能力にあった支援」を行うことができるだろうか・・・という視点なのだと思います。




マドンナ
2009年03月24日 00:33
続き
そこからが 日本のインクルージョンの「始発点」であって、今後、特別支援教育の理念が 全国にたくさんある学校に浸透するにつれて、また「次の段階」へと進むことができるようになりますが・・・かなりの年数がかかると予想されています。
特別支援教育がスタートしたんだから、当然の権利として ○○と△△を要求して当然!というものではないんですね。
だからといって理想を捨てることはなく、各行政、各学校で取り組めることからスタートして良いのだと思います。
私の現在住んでいるS区では 学習支援員・介助員に1億円を超える予算を計上していますが 焼け石に水の状態で支援を待っている子供がたくさんいます。
行政によって予算が無いところはたくさんあります=知恵を絞って先生達が努力して体制を作っている状態だと思います。
マドンナ
2009年03月24日 00:40
続き2
息子の通っていた(卒業しました)中学では 支援学級→交流学級(普通学級)、普通学級→支援学級、普通学級→学習支援の教室  また支援学級→交流学級の場合は教科の単元によって1年を通して学習に行ったり、給食、行事への参加などを行っていました。
小中一貫校なので 小5,6年の支援の必要な生徒が 中学の支援学級で学習することもありました。
小5・6年になると学習も心理面も大変なので、進学先を「特別支援学級に行きたい」と望むお子さんもいらっしゃるようです。

いずれにしても、「保護者がどんな希望をもっているのか。どのように家庭でも支援をしていくのか。」というビジョンが大切だと思っています。

マドンナ
2009年03月24日 00:42
続き3
子供によって 教室での学習が進んでいたり、遅れていたり・・という~とても得意と 大の苦手というアンバランスさがあります。これらも学校だけに任せるのではなく、家庭でも繰り返し学習をしていくなど、支援をすることで 子供はよりよくはぐくまれると感じています。(経験からですが・・・)
私の個人的な気持ちですが、学校は託児所ではない・・と思っています。学校の先生も そう思ってほしいですし、親もそう思ってほしいと願っています。学校は学ぶ場所ですから・・・。
いろんなばらつきのある子供達が学級を構成しています。学校だからと 全てを任せられたら良いのですが、それでは能力がなかなか伸びないのも現実です。(親の実感として)個別指導計画は 本来は学期ごとでは少なすぎて、1週間、1ヶ月ごとの見直しがほしいところですが、現実としては難しいのが現状ですし、関係機関と学校は密接にはつながっていませんので、その部分は親がコーディネートする必要があると思います。

なんだかまとまりが悪くてすみません・・・。

マドンナ
2009年03月24日 06:58
普通学級の中で5までの足し算ができない、小1の漢字が書けない 、分数・小数点のつまづき、かけ算ができないなど 息子の中学校の普通学級にいる生徒の現実でした。学習室で個人または小さなグループで学べた子供達は親子で「良かった」と話しています。塾の個人指導で1時間5000円です。普通学級の中で支援を受けるのは理想的ですが、集中して身につく学習をするのは難しいですね。スクールカウンセラーは 全校配置で小1人、中1人で週1日の配置でしたが、フル回転でした。私自身も(軽度)発達障害のお子さんの保護者に 発達障害の話をして、学校の支援につなげることもしました。それは見た目にも子供のつらさが日々 見えたからでした。支援は 子供だけでなく、親子の両方に必要になります。校内委員会は 区の体制が遅かったので、これからの設置になるようです。B区では全校設置済みです。校内委員会は特別支援教育の基本中の基本ですよね。新潟県上越市は取り組みが早く、校内委員会に両親・関係者がそろって開催されたと聞いています。


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